『おおかみこども雨と雪』は本当に「大衆芸能」なのか?岡田斗司夫の“厚みがない”という辛口評価を深掘り【ネタバレ考察】

細田守監督の代表作として名高いアニメ映画『おおかみこども雨と雪』。母と子の深い愛情、そして自立していく子供たちの姿を描いた感動的な物語は、多くの観客の心を捉え、涙を誘いました。

しかし、この普遍的な感動を呼ぶ作品に対し、一部の評論家からは「厚みがない」「お涙頂戴の大衆芸能」といった、非常に厳しい評価が投げかけられているのをご存じでしょうか?その筆頭が、アニメ・特撮評論家として知られる岡田斗司夫氏です。

なぜ、多くの人が感動した『おおかみこども雨と雪』が、岡田氏によって「厚みがない」とまで言われるのでしょうか?この記事では、岡田氏の辛口批評を深掘りし、作品に隠された「感動の構造」、そしてなぜ『おおかみこども』が「安心して泣ける」作品と評されるのかを徹底考察します。この考察を読んだ後、あなたもU-NEXTでもう一度作品を観たくなるかもしれません。

導入:なぜあの名作が「厚みがない」と言われるのか?

『おおかみこども雨と雪』は、都会の片隅で生きていた「おおかみおとこ」と恋に落ち、やがて「おおかみこども」を授かった主人公・花(はな)が、彼らを育てるために奮闘する13年間を描いた物語です。そのリアルな育児描写や、子供たちが自分自身の生き方を見つけていく姿は、多くの親世代や若者の共感を呼びました。

しかし、岡田斗司夫氏は自身のYouTubeチャンネルなどで、この作品に対して独特の視点から批判を展開しています。彼の主張の核心は、この作品が「世界最高のアニメーション技術を使ってお涙頂戴の大衆芸能をやった」ものであり、「厚みがない」という点にあります。一体、「厚みがない」とはどういうことなのでしょうか?

【ネタバレ注意】岡田斗司夫が語る『おおかみこども雨と雪』の「厚み」の欠如

この記事には作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。

登場人物は「被害者」で「ブレがない」?

岡田氏が『おおかみこども雨と雪』に「厚みがない」と評する大きな理由の一つは、登場人物の描写にあります。

主人公たちはあくまで被害者の側で、何一つ加害者としての側面もなければ描写もないし、見てる人に疑いを抱かせない

岡田氏は、主人公である母親・花や、おおかみこどもである雨と雪が、常に「被害者」としての立場にいると指摘します。彼らが抱える困難(おおかみおとこの死、狼と人間の両方の性質を持つ子供たちの育児、偏見との葛藤など)は、全て外部からもたらされたものであり、彼ら自身が誰かを傷つけたり、間違った選択をしたりする「加害者」としての側面が描かれていない、というのです。

さらに、キャラクターの言動に「ブレがない」ことも、厚みの欠如に繋がると言います。例えば、花は通常の育児よりもはるかに大きなストレスに晒されているにもかかわらず、作中で一度も子供たちを殴ったり、誰かのせいにしたりすることがありません。彼女の行動は常に善良で、子供たちのことを第一に考える「理想の母親像」として描かれ、そこに人間的な葛藤や弱さが深く描かれる余地が少ないと岡田氏は見ているのです。

「役割」としてのキャラクター、テトリスのように消える伏線

岡田氏の批評によれば、『おおかみこども雨と雪』のキャラクターは「役割のキャラクター」として配置されており、それぞれが「機能」を果たすために存在しています。迷いやブレがないため、見る側が「なぜこのキャラクターはこのような行動をするのか?」と深読みする「解釈の幅」がほとんどありません。

物語の構造もまた、この「厚みのなさ」を補強すると岡田氏は語ります。彼は作中の伏線が「まるでテトリスで組み合わせてさっと消えるように、全ての伏線がきれいに組み合わさってできている」と表現しています。これは、物語が非常に練り上げられており、無駄なく作られていることの証でもありますが、一方で「見る側の余白が少ない」という批評に繋がっています。つまり、示された情報を素直に受け取るだけで感動が完結してしまい、その裏に隠された複雑な人間性や多層的な意味合いを考察する余地が少ない、という見方です。

富野由悠季監督の大絶賛の裏側にある「天才のひねくれ」?

『おおかみこども雨と雪』の評価に関して、岡田氏が特に言及するのが、あの富野由悠季監督が大絶賛しているという事実です。

ご存知の方もいるかもしれませんが、富野監督は過去にアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』について「見たこともありませんし大嫌いです」と公言しています。しかし、岡田氏はこれを「見たこともないもの大嫌いになれるはずがない」とし、富野監督の「ひねくれさ」の表れだと分析します。

【ファクトチェック】
富野由悠季監督が『新世紀エヴァンゲリオン』に対し、「見たこともないし大嫌い」という旨の発言をしたことは、複数のメディアやイベントで確認されています。この発言の真意については諸説ありますが、岡田氏はこの発言を「天才のひねくれ」の具体例として挙げています。

岡田氏の邪推によれば、天才と呼ばれる人々は、自身が本当にライバルだと認識している相手に対しては厳しく批判したり、あるいは一見褒めているようで実は皮肉を込める傾向があると言います。例えば、漫画の神様手塚治虫氏も、若き日の大友克洋氏に対し、パーティーの席で「僕だってね、君みたいな(絵を)描こうと思ったら書けるんだから」と発言したという有名なエピソードがあります。これは、大友氏の才能を認めつつも、ライバル視しているがゆえの発言だと解釈されています。

これに対し、安全に褒められる対象(自身にとって脅威とならない相手や、認めざるを得ない素晴らしい作品)に対しては素直に、あるいは教師が生徒を評価するような形で「よくできました」と大絶賛する、というのです。つまり、富野監督が『おおかみこども』を大絶賛した背景には、「これは正当に褒めるべき、安心して褒められる大衆芸能だ」という、ある種の「舐め」や「見下し」が含まれているのではないか、というのが岡田氏の「邪推」です。

もちろん、これはあくまで岡田氏個人の解釈であり、富野監督の真意は他にあるかもしれません。しかし、一人の評論家がここまで深く、作品評価の背景にある人間の心理を読み解こうとする視点は、非常に興味深いものです。

芸術作品と「大衆芸能」の違い:『火垂るの墓』との決定的な比較

岡田氏が『おおかみこども雨と雪』の「厚みがない」ことを語る上で、対照的な例として挙げるのが、スタジオジブリ作品『火垂るの墓』です。彼は『火垂るの墓』を「とんでもない映画だ。大嫌いだけど、名作だと思っている。あれは芸術だ」と評します。

岡田斗司夫が「大嫌いだけど名作」と語る『火垂るの墓』の「厚み」

なぜ『火垂るの墓』は「芸術」であり、「厚みがある」と言われるのでしょうか?岡田氏は、その理由を主人公・清太の行動と心理に深く踏み込んで解説します。

『火垂るの墓』では、戦争孤児となった兄・清太と妹・節子が悲劇的な末路を辿ります。清太は妹を餓死させてしまい、自身も罪の意識に苛まれて命を落とします。岡田氏はこの清太の行動について、次のように語ります。

俺は自分が生きるために妹を殺してしまったという話なんですね

清太は、妹より多く食べ、自分だけ生き延びてしまった。妹を餓死させたのは、戦争という不可抗力だけでなく、「彼のわがまま」や「お母さんから言われた立派な家の跡取りでいたいという彼の自我、プライド」が原因だと岡田氏は指摘します。親戚の家に身を寄せられなかったのも、清太の意地。彼は自分で食料を調達し、金銭も管理できたはずなのに、妹を助けきれなかった。つまり、妹の死は清太自身の「判断間違い」の結果であり、彼は戦争を言い訳にできない罪を背負っている、という解釈です。

この解釈は、一般的な「戦争の悲劇」という見方から一歩踏み込み、主人公の複雑な人間性や内面的な葛藤を深く掘り下げています。清太の行動が「何通りにでも取れる」ことで、見る側に深い考察の余地を与える。これが岡田氏の言う「厚み」なのです。

【ファクトチェック】
『火垂るの墓』の原作者である野坂昭如氏は、自身の戦争体験(妹を亡くした経験)に基づいてこの作品を執筆しました。野坂氏自身も戦後を生き延び、その経験を作品の「ネタ」として利用したことに対し、深い罪悪感と「23中の十字架」を背負っていたとされています。清太の行動の裏には、野坂氏自身の複雑な心理が投影されていると考えることができます。

なぜ『おおかみこども』は「安心して泣ける」のか?

対する『おおかみこども雨と雪』は、なぜ「安心して泣ける」と評されるのでしょうか。

岡田氏は、この作品が「泣くべきパーツが鳴くところに挟まって」いる、つまり、観客が感動するように周到に計算された場面や描写が散りばめられていると指摘します。キャラクターに「ブレ」がなく、その行動の背景に複雑な解釈の余地がないため、提示された感動をストレートに受け止めることができる。これが「安心」して泣ける、という感覚に繋がるのです。

岡田氏の定義では、

  • 芸術作品:見る人によって何通りもの解釈の幅があるもの。
  • 大衆芸能:見る人にとって全く解釈の余地がなく、「いいものはいい、悪いものは悪い」と明確な善悪で感動させるもの(例:水戸黄門)。

この基準に照らし合わせると、『おおかみこども雨と雪』は後者の「大衆芸能」に分類される、というのが岡田氏の主張なのです。

もちろん、「安心して泣ける」ことが悪いわけではありません。純粋な感動を提供し、幅広い層にアプローチできることは、作品にとって大きな強みです。しかし、岡田氏のような批評家は、そこに「人間ドラマの奥深さ」や「多層的な意味合い」といった「厚み」を求めるため、このような評価になるのでしょう。

『おおかみこども雨と雪』はそれでも素晴らしい作品である理由

岡田斗司夫氏の批評は辛辣なものですが、彼自身も作品の「世界最高のアニメーション技術」は認めています。細田守監督が作り出す美しい映像、心を揺さぶる音楽、そして丁寧なキャラクター描写は、多くの観客を魅了し、忘れられない体験を与えてくれるでしょう。

また、「安心して泣ける」という点は、裏を返せば、誰もが共感しやすく、純粋な感動を味わえるということでもあります。複雑な考察や深読みをせずとも、母と子の絆、子供たちの成長、そして彼らがそれぞれの道を選び取る姿に、ストレートに心を打たれることができるのです。これは、アニメーション作品として非常に高い完成度を誇っている証拠とも言えるでしょう。

岡田氏の批評は、作品を多角的に、より深く理解するための「新たな視点」を提供してくれます。この考察を読んだ上で作品を見直すと、「あのシーンの母親の笑顔の裏には、本当に葛藤はなかったのか?」「雨や雪の選択は、彼ら自身の意思以外の要素はなかったのか?」といった、新たな疑問や発見が生まれるかもしれません。

この考察を読んだら、『おおかみこども雨と雪』をU-NEXTで視聴しよう!

岡田斗司夫氏の批評を通じて、『おおかみこども雨と雪』に新たな見方を発見できたでしょうか?

「厚み」の有無や「大衆芸能」としての側面といった視点を知った上で作品を鑑賞し直すと、これまで見えなかったキャラクターの微細な表情や、物語の裏に隠された意味を感じ取ることができるかもしれません。もしかしたら、あなた自身の中に「厚み」を見つけ出すことができる可能性もあります。

『おおかみこども雨と雪』は、映画やドラマ、アニメを豊富に取り扱うU-NEXTで視聴することができます。U-NEXTでは、初回登録の方限定で31日間の無料トライアルを実施中!この機会にぜひ、岡田氏の批評を胸に、作品の世界に再び浸ってみませんか?

まとめ:深掘りされた『おおかみこども』の世界

『おおかみこども雨と雪』は、確かに「安心して泣ける」感動的な物語です。しかし、岡田斗司夫氏のような批評家の視点を通して見ると、その「感動」の裏にある構造や、登場人物の描かれ方に新たな光が当たります。「厚み」という概念を軸に、芸術と大衆芸能の境界線に触れる考察は、作品鑑賞の奥深さを教えてくれます。

この記事をきっかけに、あなたも『おおかみこども雨と雪』を多角的に捉え、自分なりの「厚み」や「感動」を見つけ出してみてはいかがでしょうか。そして、その感動体験をさらに深めるために、ぜひU-NEXTで作品をじっくりと堪能してください。

あなたは『おおかみこども雨と雪』にどんな「厚み」を感じましたか?ぜひ、あなたの感想も聞かせてくださいね!

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