【まどマギ考察】魔法少女たちの「願い」と「結末」に隠された真実とは?衝撃の裏側を徹底解説!

「魔法少女まどか☆マギカ」を観始めた時、「これって、まさかゆるふわアニメじゃないの…?」と驚いた方も多いのではないでしょうか。キラキラした魔法少女のイメージとは裏腹に、予測不能な展開、そして心をえぐられるようなシビアな現実が待ち受けていたことに、衝撃を受けた方も少なくないはずです。

今回は、そんな『まどマギ』に登場する主要な魔法少女たちが、どんな願いを抱き、そしてどのような結末を迎えたのか、そしてその背景に隠された深い考察を徹底解説していきます。まだアニメ1期をご覧になっていない方は、これから語られる内容が重度のネタバレを含みますので、十分ご注意ください。この考察は主にアニメ版に焦点を当てていますので、映画版については少しだけ触れる形となります。それでは、一緒に『まどマギ』の世界を深く掘り下げていきましょう!

巴マミ:皮肉な「生きたい」という願い

まず最初に紹介するのは、頼れる先輩魔法少女、巴マミです。彼女の願いは、ずばり「生きたい」でした。しかし、本編3話で衝撃的な死を遂げてしまう彼女の姿を見て、「全然願いを叶えられていないじゃないか!」と感じた方もいるでしょう。

実は、マミさんが魔法少女になったのは、家族ともども事故で死にかけた時。その土壇場で現れたキュゥべえに「死にたくないなら契約しろ」と言われ、彼女は契約しました。そういう意味では、彼女の願いは「死なずに生きること」として、その瞬間に叶えられたとも言えます。

しかし、ここからは考察です。『まどマギ』の元ネタの一つと言われるゲーテの戯曲「ファウスト」では、悪魔と契約した者が魂を持っていかれる条件は「魂が満足した時」とされます。マミさんは、魔法少女としていつ死ぬかわからない状況で、第1話より前からずっと戦い続けてきました。死と隣り合わせの日々の中、彼女の魂は本当に「満足」できていたのでしょうか?

想像してみてください。マミさんは「生きたい」と思いながらも、ずっと一人で戦ってきたのです。そんな彼女に、もし「仲間」ができて、「このままなら生きられるかもしれない」という希望が芽生えたとしたら……。まさに「もう何も怖くない」と希望に満ちたその瞬間、彼女は命を落としました。これは、彼女の魂が一時的にでも満足してしまったから、という皮肉な考察が成り立ちます。

では、マミさんがずっと一人で戦い続けていれば助かったのでしょうか?実は、そういうわけでもありません。ほむらが時間遡行を繰り返す中で、マミさんの運命は何度も変わります。最初の時間軸では「ワルプルギスの夜」まで生き残ったものの、その後魔女になる事実を知って錯乱し、まどかによって撃たれてしまいます。そして、直近の時間軸では、まどかが魔法少女になることを決意した直後の3話で死亡。時間をループするたびに、マミさんの寿命は皮肉にも短くなっているようにも見えます。キュゥべえの目的は、希望から絶望への感情の落差によるエネルギー回収であり、最も効率的な方法を選んでいるに過ぎないのです。

美樹さやか:「恋心」が招いた絶望の淵

次に、美樹さやかの願いについて見ていきましょう。彼女の願いは、ずばり「好きな人の腕を治す」ことでした。恋心を抱いていた上条恭介のため、彼女は魔法少女になったのです。恭介はバイオリンの天才でしたが、事故で指が動かなくなり、医者からも回復の見込みはないと言われていました。

さやかはそんな彼のために献身的に尽くし、奇跡を信じました。そして、その奇跡の力を持つ魔法少女となったのです。恭介が屋上でバイオリンを披露するシーン、あの時のさやかの満足そうな顔は忘れられません。

ここからが考察です。さやかは、魂が「満足」したその瞬間から、終わりに近づいていったのかもしれません。キュゥべえの狙いは感情の「変化」によるエネルギー。最も効率的にエネルギーを手に入れるためには、一番高い希望から一番低い絶望へと突き落とすのが得策です。さやかは願いが叶った後、どん底に突き落とされていきます。

まずは衝撃的な「臨死体験」。さやかのソウルジェムがまどかに投げられたシーンをきっかけに、魔法少女の身体の本体はソウルジェムであり、肉体はすでに死んでいることが判明します。その後、まどかへの苛立ち、汚れが溜まっていくソウルジェム。そして8話のラスト、ついに彼女は魔女となります。さやかの魔女はファンの中でも特に人気が高く、映画ではスタンドのように表現されていました。

さやかの魔女には、意味が分かると怖い小ネタもあります。京子との戦闘シーンで、さやかの魔女が腕を切られる描写がありますよね。彼女の願いが「恭介の手を治すこと」だったことを考えると、これほど皮肉なことはありません。

キュゥべえは11話で「祈りから始まり、呪いで終わる。これまであまたの魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだ」と言っています。呪いとは魔女になることなのでしょうか?しかし、マミさんのように途中で死んでしまった場合、キュゥべえはどうやってエネルギーを回収しているのでしょう?一つの考察としては、魔女になる「一つ前の段階」こそが「呪い」であり、その段階で既にエネルギー回収は終わっている、という考え方もあります。魔女化はその結果に過ぎないのかもしれません。しかし、これはグリーフシードの回収や最終話のキュゥべえとほむらの会話から反論の余地もある、奥深いテーマです。

佐倉杏子:願いがもたらした家族の悲劇

次に紹介するのは、佐倉杏子です。彼女の願いは「皆が父親の話を聞くようになること」でした。彼女の父親は、独自の教えを広める牧師でしたが、新興宗教のような扱いを受け、信者は離れ、教会からも破門されてしまいます。

父の思いに共感していた杏子は、この状況を悲しみました。そんな時、キュゥべえが現れ、彼女は願いをかけます。結果、杏子の魔法によって、父親の話を多くの人が聞くようになり、教会は信者で賑わいました。しかし、この幸せが続くことはありません。

父親は、杏子の魔法で信者を得ていたことを知り、自暴自棄になって杏子以外の家族と無理心中を図ります。家族のために願った杏子が、結果として家族を失うという悲劇。しかし、それでも杏子は魔女化しませんでした。なぜでしょう?

制作陣の発言によると、杏子は自分の感情の通りに生きてきたから、ソウルジェムが濁らずに済んだとされています。キュゥべえからすれば、感情の落差が少ない杏子は最も効率の悪い相手だったのかもしれません。呪いに対して絶望しなければ、エネルギーの回収効率は悪くなります。

杏子の最期のシーンは、ファンの間で様々な説が飛び交っています。父親が牧師だったから祈りのポーズだった、という説も有名ですね。さらに深掘りすると、杏子の服装や祈りのポーズは父親のイメージを受け継いでいると言えます。ソウルジェムも十字架のようなデザイン。そして、彼女の武器である槍は、キリストの命を奪ったとされる「ロンギヌスの槍」を想起させます。

このように宗教要素が盛りだくさんの杏子ですが、キリスト教では無理心中は罪とされます。しかし、彼女の家族も、そしてさやかと共に杏子自身も無理心中しているのです。他の魔法少女と比べると、自分の好きな人と一緒に行けたという点で救いがあるのかもしれませんが、キリスト教を皮肉っているようにも感じられます。実際、原作者の虚淵玄さんは、後に杏子の宗教は架空のものと発言しており、怒られた説が有力視されています。

鹿目まどか:壮大な「全魔法少女の救済」

いよいよ物語の主人公、鹿目まどかです。彼女の願いは「全魔法少女の救済」という、とんでもなく壮大なものでした。キュゥべえも、その願いが叶えば一つの宇宙を終わらせるほどの絶望を背負うことになると警告します。実際、地球を覆うほどの呪いが訪れることになります。

しかし、アルティメットまどかとなった彼女は、その絶望を一掃し、「もう絶望する必要なんてないんだ」と言い放ちます。この結末は、まるでハッピーエンドのように見えますが、今まであれほど皮肉な展開を見せてきた『まどマギ』が、本当にそんな単純な終わり方をするのでしょうか?

これも元ネタであるファウストの終わり方と同じ、という考察があります。ファウストでは、悪魔が賭けに勝って主人公の魂を持っていこうとしますが、かつての恋人の祈りによって魂は救済されるのです。しかし、『まどマギ』はそんなご都合主義なハッピーエンドを許しません。

ここからが考察です。第1話でほむらはまどかに「今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね」と警告しています。これは、別の世界線でまどかが「今とは違う自分に変わろうとした」ことから、ほむらが警告したと考えられます。つまり、まどかの根源的な願いは、自分はどういう人間になりたいか、どうすれば他人の役に立てるか、という「自分の存在証明」だったのかもしれません。

シナリオライターとしての考察では、第1話に問題提起した内容は最終話に答えを出すのが定番です。まどかは自分を変えようとした結果、自分という存在が消え去ってしまいました。誰よりも他人を想った彼女は、最終話でお母さんにすら忘れられてしまうのです。

また、まどかの有名なセリフ「もう絶望する必要なんてない」にも注目です。この前には「ううん、大丈夫。私の願いは、全ての魔女を消し去ること。本当にそれが叶ったんだとしたら、絶望する必要なんてない」というセリフがあります。アルティメットまどかが神のような存在だと仮定すると、このセリフは全て正しいことになります。これを言い換えると、「私の願いは全ての魔女を消し去ること。これが正しいのであれば、私という魔法少女が絶望する必要なんてない」となります。これって、無限ループしていませんか?

呪いを消し去るまどかの願いが発動すると、その願いが叶った代償として呪いが発生し、それをまたまどかが消し去る……。円環の理というのは、こういった意味合いも含んでいるのではないか、と考察できます。これはかなりザックリとした考察なので、より深い表現や補足があれば、ぜひ教えていただきたいです。

暁美ほむら:唯一無二の「まどかを救う」願い

そして、最後の魔法少女、暁美ほむらです。彼女の願いは、ただ一つ、「まどかを救うこと」。まどかを救うために、何度も何度も時間を過去に遡り、世界線をやり直しているのがほむらです。主題歌である「コネクト」の歌詞「いつになったらなくした未来を私ここでまた見ることができるの」は、まさにほむらを歌っているようだと考察されています。

ほむらはまどかを救うために魔法少女となり、時間のコントロールという力を手に入れました。時間を停止させるのは副次的な能力であり、本当の力は、自分が望まない時間軸になった場合、時間を巻き戻すことができることです。しかし、何度も時間遡行を繰り返した結果、最終的に彼女が迎えるのは、まどかを失ってしまうという結末。それも、存在そのものを失うという、あまりにも皮肉な結末です。まどかを誰も覚えていない世界で、ほむらはただ一人、まどかのことを覚えているのです。

円環の理後の世界で、マミさんは「希望を求めたいが、この世に呪いをもたらす前に、私たちはああやって消え去るしかないのよ」と言っています。つまり、円環の理に導かれて消える、ということ。だから、『まどマギ』の願いと結末が皮肉な結果になるのは、キュゥべえのせいではなく、世界の法則なのかもしれない、という考察もあります。魔女がいない世界でも「希望を求めたい」という存在が「呪い」をもたらすのだとしたら、ほむらの絶望は尽きません。

しかし、円環の理のおかげで、ほむらは絶望せずに済む、という考え方もあります。魔女がいない世界でも、まどかが守ろうとした世界のために戦い続けていく。まどかは救えなかったけれど、なんだか「トゥルーエンド」のような、ほろ苦い結末にも見えます。

ですが、『まどマギ』はそんな単純な「ハッピーエンド」や「トゥルーエンド」を許さない作品です。もし全ての魔法少女が救われるのなら、まどかの結末を許せないほむらだって、救われなければおかしいのではないでしょうか?

最終話のラストシーン。魔獣と対面するほむらが、まどかの「頑張って」というささやきに優しく微笑んで終わるシーン。ここからが考察です。この考察記事の中で、「魔法少女が絶望に向かう条件は魂が満足した時」だとお伝えしました。これまで登場した魔法少女たちは、ほむら以外、魂が満足した時が必ず存在していました。そして、キュゥべえは確かに「下手野郎」ですが、契約は必ず守ります。まどかの願いは「全ての魔法少女の救済」でした。では、ほむらは救われているのでしょうか?まどかがいなくなってしまったのに、彼女の魂は満足したのでしょうか?

最後のシーン、ほむらの禍々しい翼とピンク色の線が衝突するような描写があり、禍々しい翼が勝っているように見えます。そして物語は、劇場版『[新編] 叛逆の物語』へと進んでいくのです。どうしようもないほむらの、本当の結末を知りたい方は、ぜひその目で確かめてみてください。

『まどマギ』の奥深い世界を、あなた自身の目で確かめませんか?

今回は、魔法少女たちの願いと、その皮肉な結末について深く掘り下げていきました。独自の考察も交えましたが、様々な意見があると思いますので、ぜひコメント欄で皆さんの考察も聞かせてくださいね。もしかしたら、あなたよりも深い考察がコメント欄にあるかもしれませんよ。

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