最終回を迎え、多くのファンに衝撃と考察の種を残した『機動戦士ガンダム ジークアクス』。
中でも最大の謎として、主人公・マチの前に現れた謎の少年「修ジ」の具体的な正体は、さまざまな憶測を呼んでいますよね。
今回は、そんな修ジの正体に迫りながら、彼がガンダムの生みの親である富野由悠季監督のメタファーである可能性について、深く考察解説していきたいと思います。
『ジークアクス』を観終わった方も、これから観る方も、この記事を読めば作品の新たな魅力に気づけるはずです!
『ジークアクス』修ジの表面上の正体とは?
修ジは17歳の少年で、赤いガンダムに乗ってマチたちの前に現れました。
デザインワークスによれば、彼の名前「修ジ」は漢字で「柊(ひいらぎ)」と表記され、植物がモチーフになっていると考えられます。マチやニャンコ、リュウガンといった登場人物の名前も植物に由来しており、作品全体に共通する要素として興味深いですね。
彼はシイコとセイから赤いガンダムを託され、セイ以上のニュータイプとして完璧に乗りこなしていました。
ララーを救うために世界をリセットし続けた少年
修ジは「向こう側」と呼ばれる世界からやってきました。その世界は宇宙世紀に極めて近いものの、シャアがガンダムに殺されるという異質な歴史を持つ宇宙でした。
彼は、ララーが絶望の果てにエルメスのサイコミュによって作り出した「偽物の世界」を終わらせる存在だったのです。
どの宇宙でもシャアが白いガンダムに殺され、ララーが苦しむ姿を見てきた修ジは、ララーの心が傷つかないよう、数えきれないほどララーを殺し、世界をリセットしてきたと語ります。そして、最終的には白いガンダム(ファーストガンダム)に乗り、再び「向こう側」から現れることになります。
修ジはララーを心から愛し、彼女が傷つかないことを願っていました。偽物の世界を本物にし、いつか彼女の願った世界を実現したいと考えていたのです。
ガンダムは修ジ自身?二人の修ジの存在
劇中では、修ジはガンダムのパイロットとしての彼と、「世界の理(ことわり)やルール、概念のような存在」としての彼、という二つの意味で存在しているように描かれています。
ガンダムに乗る修ジが、あたかも他人事のように「本物のガンダムが現れてしまった」と語る場面がありました。しかし、ガンダムが語っていたことは、実は修ジ自身がララーを殺すしかないと自分にかけた「呪縛」そのものだったと考察できます。
マチが「ガンダムは喋らない」と発言し、それが基本的に正しいという構成になっていることから、修ジが話していた「ガンダム」とは、もう一人の自分、つまり世界の概念ともいえる修ジ自身であった可能性が高いのです。
声優の土屋さんも、ガンダムの言葉が「ガンダムが言っているのか、修ジの心がそう言っているのか、どう感じるかの余白」と捉えていると語っています。この発言からも、ガンダムのセリフが修ジ自身の内面から生み出されていることが示唆されます。
パイロットとしての修ジと、ララーのように超越した存在となった概念的な修ジ、精神体のような修ジが存在し、ある意味で常に「もう一人の自分」と会話していたのかもしれません。
修ジとアムロ・レイ、そして「第3の世界」の繋がり
「向こう側」で白いガンダムとして戦ってきた修ジは、ララーと同じように深く傷つき、ガンダムという人格と修ジという人格に分かれていたと予想されます。
第9話でガンダムが「バラが目を覚ます」と語った際に修ジが驚いていたのは、この時点で既に人格が完全に分離していたことを示唆しているのかもしれません。
パイロット不明だった「向こう側のガンダム」にはアムロが乗っていた可能性も考えられますが、修ジはエンディオンユニット(アムロの声)を知らなかったことから、アムロ・レイが乗ったガンダムの思念体という可能性は除外されるでしょう。
エンディオンユニットは、ガンダムがララーを殺す光景を見たくないと言い、「向こう側でもこちら側でもない第3の世界」を知っていると語ります。これは、ガンダムがシャアではなくララーを倒した宇宙世紀の正史であり、エンディオンユニットこそが富野監督のガンダム世界からやってきたアムロ本人であると考えられます。
アムロが望んだ「ララーが死なない世界」が修ジを生んだ?
「第3の世界」の宇宙世紀の正史が存在する中で、「向こう側の世界」が存在するのはなぜでしょうか?それは、ララーやエルメスと同様の能力を持ち、「誰かの望みを叶えたい」と願った存在がいたからではないでしょうか。
もしそうだとすれば、エンディオンユニットに宿ったアムロとは、彼が最初で最後に乗ったサイコフレーム搭載モビルスーツ、すなわち『逆襲のシャア』のνガンダムに由来する存在だと考えられます。
ゼクノバを起こせるという情報や、シャロンのバラと同様の存在であることから、世界の創造や改変が可能だったのでしょう。すなわち、「向こう側の世界」とは「ララーが死なない世界」であり、それを望んだのはエンディオンユニット、つまりアムロ・レイだったと考察できます。
アムロは「自分がガンダムに乗らない世界」を創造した結果、ララーが死なない代わりにシャアが死んでしまうという世界になってしまった。そして、その世界で代わりにガンダムに乗ることになったのが修ジだった。だからこそ、彼はセイ以上のニュータイプとして赤いガンダムを完璧に乗りこなすことができたのではないでしょうか。
SF作品では、タイムトラベルや歴史改変によって過去を変えても、似た存在が代わりを務めたり、同じ未来に修復する力が働くという考え方があります。もしアムロがガンダムに乗らなければ、代わりに同様の能力を持った存在がガンダムに乗るように世界が歴史を修復する。
それこそが修ジであり、アムロの代わりに世界が用意した「ニュータイプの少年」だったと考えられます。アムロと同様に純粋な修ジは、ララーと感応し、ララーを好きになったのではないでしょうか。
彼はアムロに似たニュータイプで、コンピューターや機械いじりが好きな少年だったため、チークガングを魔改造し、ハロに似たコンチというメカを作ったと考えられます。グローブをスクラップから拾ってきたという設定からも、もともとは孤児だったか、スクラップから部品を調達して機械いじりをしていたのでしょう。
修ジはアムロの不在の変わり、世界に用意された一種の「偽物」であり、だからこそ「この世の理(ことわり)」と少しずれていたのかもしれません。その世界はガンダム作品というメタ領域概念から用意された存在のため、いわばデウス・エクス・マキナ的な存在だったとも考えられます。
江の木戸さんの概念ではアムロの対がララーであることから、ララーの対になるのは修ジという構図になるでしょう。表面上の修ジとは、「アムロがいない世界」で世界や宇宙、ガンダム作品という領域がガンダムのパイロットとして代わりに用意した存在。アムロと同様のニュータイプや操縦技術を持ち、同時に世界の理と外れた能力を持つ、神のごときララーの対となる存在だからこそ、世界を移動でき、終わらせることができた、神のような一面があると考えます。
修ジがマチの思いに応えた理由、そして救済の物語
ララーのためにララーを殺し続ける人生。その旅はララーが目覚める度に消滅し、誰にも理解されない報われない孤独な戦いを繰り返していました。同時に、彼の「アート作品」も誰にも理解されることはありませんでした。
修ジはララーを大切に思っていたことに、自分自身ですら気づいていなかったのかもしれません。そんな彼が誰にも言っていなかった本心をマチに見抜かれ、「あなたの作品の意味が私にはわかる」と言われた時、どれほど嬉しかったでしょうか。彼は生粋のアーティスト、絵描きだったのですから。
ララーを好きだと自覚した瞬間、修ジは同時に「失恋」を理解しました。しかし、その失恋と同時に、目の前には自分自身の最大の理解者がいたという形になったのです。
修ジの旅は、もはやララーのためだけでなく、自分自身が救われる旅でした。だからこそ修ジはマチと会うために旅を続けてきたんだな、と深く感じたのではないでしょうか。マチはララーを救うと同時に修ジも救っていました。修ジからすれば、同時に大切なものを二つも救ってくれたことになるのです。彼が一瞬でマチに惹かれる理由も、これでよく理解できます。
『ジークアクス』はララーとセイの物語でありながら、同時にマチと修ジの物語でもあったのです。
鶴巻監督が描きたかった「富野監督のメタファー」としての修ジ
そして修ジのもう一つの顔、裏の正体。それは彼が作品を超えて、ガンダムという作品そのものの何らかのメタファーになっている可能性です。
それこそが、鶴巻和哉監督とスタジオカラーが『ジークアクス』で表現したかったことだと予想します。
その正体とは、ガンダムの生みの親である富野由悠季監督のメタファーである可能性が高いのです。
修ジの声優さんも最新のインタビューで、「修ジの言葉には僕たちが考えている以上の意味や気持ちが込められていて、国語的な言葉通りには受け止められないところがある」「言葉の意味が広い」などの感想を語っています。
つまり、キャストや視聴者が感じる印象以上の何かが修ジのセリフに含まれており、作品外の領域まで届く言葉であると示唆されているのです。
マチは鶴巻監督の分身だった?
修ジの正体を紐解くためには、彼に思いを寄せる主人公・マチについて考える必要があります。
過去のインタビューでも語られていますが、マチが感じていたコロニーの閉塞感は、鶴巻監督自身の幼少期の感覚が反映されているといいます。新潟県で田んぼの真ん中で育った鶴巻監督は、「狭い箱庭に閉じ込められているような感覚があり、一生ここで生きていくのかなと閉塞感と恐怖を感じていた」そうです。
その時の感覚は、『フリクリ』、そして『ジークアクス』のマチに投影されています。マチの住んでいた泉コロニーには新潟県の地名が使われていました。つまり、マチとは幼少期の鶴巻監督を投影した存在なのです。マチの声優である黒沢さんも、マチは「鶴巻監督だ」と語っていたほどです。
鶴巻監督は高校時代、親に黙って東京の専門学校に行くことを決め、新聞奨学生に応募する手配まで済ませていたといいます。これは、コロニーから脱出し、地球に行く計画を親に黙って考えていたマチとリンクする部分がありますね。
富野監督への強い憧れと敬意
鶴巻監督は『フリクリ』のインタビューの中で、「自分を構成しているものの1つ」として富野監督と答え、好きなアニメはガンダムだと回答しています。また、舞台挨拶でも「ガンダムと自分が一体化しているような状態で、ガンダムがある世界で育ってきた」と語っており、ガンダムという存在が鶴巻監督を構成し、その作者である富野監督に強い敬意を持っていることがわかります。
そんな鶴巻監督が『フリクリ』のインタビューで、高校時代に東京で過ごしていたら何をしてどこに行きたいか聞かれ、「原宿でデートは無理。アニメ新宣言をするハッピ姿の富野監督を見物するくらい」と語っています。
この発言、鶴巻監督の幼少期を考えると非常に示唆的です。田舎で窮屈に感じていた高校時代の自分がもし東京に住んでいたら、ショッピングでもデートでもなく、富野監督を見に行くくらいの強い憧れと特別な思いがあったのではないでしょうか。
修ジ=富野監督のメタファー説の核心
富野監督は過去にガンダムを終わらせようと考えたことがあります。これは、ララーの作った偽物のガンダムの世界を終わらせようとしていた修ジとリンクします。
何よりも、最終回のサブタイトルが「だから僕は」という富野監督のエッセイと同じタイトルだったことを踏まえると、劇中で修ジのセリフとして登場したこの言葉は、17歳のマチ(幼少期の鶴巻監督)が思いを寄せる修ジが、富野監督を指していると考えるのが自然です。
修ジが「絵描き」「アーティスト」という設定も、このメタファーのために用意されたと考えられます。
マチのセリフ「窮屈に生きてきた私は、あの日と出会った。こんなキラキラした自由な世界があることを、修ジは教えてくれたんだ」は、鶴巻監督自身のメッセージとして読むと、以下のような意味になります。
「田舎の田んぼの中で一生暮らしていくと閉塞感と恐怖を感じて生きていた僕は、あの日ガンダムというアニメと出会った。こんなすごいアニメ、自由な世界があることを、ガンダムと富野監督、君は教えてくれたんだ」
巨大化するガンダムも、自分にとってあまりに大きな存在である「ガンダム」を乗り越え、立ち向かっていく状況のメタファーだと感じます。
クランバトルのルールに則り、頭部を破壊することでマチが勝利したと視覚的に分かり、あくまでもバトルに勝利しただけで完全破壊しなかったのは、過去のガンダムの否定になっていない点が素晴らしいと思います。
マチとは幼少期の鶴巻監督のメタファーであり、理想的な自分、そして現代の若者のイメージを混ぜた存在と考えられます。同時に、ニャンも鶴巻監督のメタファーであり、自分からは監督に立候補できない消極的な部分、うちに秘める強い思いや実力はあるけれど臆病だった現実的な一面を、現代の若者のイメージと混ぜた存在ではないでしょうか。
鶴巻監督がニャンというキャラクターを大事にしたかった理由は、鶴巻監督の本質がニャンに近かったからではないかと考えます。
修ジという富野監督とガンダムという大きな存在に、自分たち(鶴巻監督自身)が立ち向かっていくという構図だったのでしょう。
鶴巻監督が『ジークアクス』に込めたメッセージ
『ジークアクス』という作品は、鶴巻監督の子供時代の夢であったと感じます。ある意味でマチの夢であり、鶴巻監督の子供時代の夢という構図となり、作品自体が鶴巻監督のエッセイでもあったのです。
だからこそ、富野監督のエッセイのタイトルを最終回のサブタイトルに採用したのではないでしょうか。
修ジの言葉であり、富野監督の言葉であり、鶴巻監督の言葉だったのかもしれません。
おそらくは、子供の頃、新潟から東京へ行くことを決めてアニメーターを目指した時に、「ガンダムを超える作品を作る」「自分もガンダムを作る」と子供ながらに抱いた夢を表現したかったのではないでしょうか。
鶴巻監督は『ジークアクス』という作品を若い人に見てほしいと語っていましたが、「夢は叶えられる」というメッセージも込められていたのだと思います。
「自分のように不自由だと感じていた状況や環境を打開し、勇気を持って一歩踏み出せばきっと自由になれる。
そんな自由な状況で傷ついても戦い進み続ければ進化できる。いつかは夢が叶えられる。
同じような環境で悩む子供たちに、『君たちはもっと自由になっていい。僕はご覧の通りに好きにした。次は君たちが自由のために頑張る番だ』」
このような意味があったのではないかと考察します。
同時に、富野監督への熱いメッセージでもあります。「あなたが作ったニュータイプという概念やガンダム作品はまだまだ進化できる。僕たちはあなたが作った世界を広げ、頑張っていきます」という意思表示にも見えるのではないでしょうか。
鶴巻監督が本当にやりたかったことは、富野監督への感謝であり、これから大人になるガンダムファンに向けて、マチの生き様、そして鶴巻監督自身の生き方を見せて、「自分と同じように頑張ってガンダムという作品を進化させ、可能性を広げてほしい」という思いだったのかもしれません。
アニメーターの新人育成に力を入れたスタジオカラー作品らしい、展開だったのではないでしょうか。
この考察を読んで、改めて『ジークアクス』を観返したくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか?複雑に絡み合う人間関係や、深いテーマをじっくりと味わうには、やはりもう一度見返すのが一番です。実は、『機動戦士ガンダム ジークアクス』は、U-NEXTで全話見放題配信中なんです。しかも、U-NEXTには31日間の無料トライアルがありますから、まだ登録されていない方は、実質0円でこの深遠な物語を体験できますよ!登録もスマホからたった数分で完了します。この機会に、鶴巻監督の熱い思いと、修ジの謎を、ご自身の目で確かめてみませんか?
まとめ
今回は、『機動戦士ガンダム ジークアクス』の謎の少年・修ジの正体と、彼が富野由悠季監督のメタファーである可能性について考察しました。
- 修ジは、ララーを救うために世界をリセットし続ける存在であり、パイロットとしての彼と概念としての彼の二面性を持つ。
- アムロ・レイが「ララーが死なない世界」を望んだ結果、アムロの代わりにガンダムに乗る存在として修ジが生まれた。
- 修ジがマチの思いに応えたのは、孤独な戦いの末、マチに自分のアート作品、つまり自身の本心を理解してもらえたから。
- 修ジの裏の正体は、鶴巻監督の富野由悠季監督への深い敬意と憧れ、そしてガンダムという作品に対するメッセージが込められたメタファーである。
- 『ジークアクス』は、鶴巻監督自身の子供時代の夢と、若い世代への「夢は叶えられる」というメッセージ、そしてガンダム作品のさらなる進化への期待が込められた作品である。
このように修ジの正体と、彼が富野監督のメタファーであり、何を伝えたいキャラクターだったのか、鶴巻監督の思いを重ねて考察してみました。
どこかでスタジオカラーのガンダム作品をまた見てみたいなと思います。もう一度修ジに会える日が来ると、ガンダムが言っている気がします。
